土日は台風が来るかもしれないという戦々恐々の雰囲気の中、千葉の方々が心配です。
そうでなくとも関東の方は移住を視野に入れてほしいなと無責任ながら常々思う私です。
下の子が1歳半を迎えてからパワーアップし、毎日ドタバタとしています。
そんな中で私の悩みは食事。作るものを食べてくれない、、、栄養が気になる、、、
しかし体重計に乗せてみたら、二人とも増えている。。
育児ってそんなものなのでしょうか。私が育児を語るのは恐れ多いですが、
興味がある分野です。子供たちをイメージすると、真っ白なキャンバスと無限の可能性が同時に頭に浮かぶのです。
自分がとおの昔に失ってしまった、とてつもなくキラキラしているものを持っている彼らがうらやましくてたまらない。
子供にはいろんな可能性の種を植えてあげたいと思うと同時に、自分への悲壮感も溢れてしまいますが、
そこは悲しむのではなく、子供たちの未来の無限の可能性に力を注ぐ大人として邁進したいです。
下の子が英語圏にいたら今頃どんどん英語耳になっていたのだろうか、なんて考えたら悲しくなってしまいましたが、
3カ月(短いですがとても長く感じました)フィリピン親子滞在をした私達、そして海外移住のtwitterの方のコメントを見ると、
移住というのは容易に考えてはいけないところもあるなと思い直しているのです。
2019.4月までの我が家は私はひたすら日本から逃げたく、主人との仲も最悪で距離を置きたかった、喧嘩もとても多い状態でした。
何かを変えたくてフィリピンへ向かいました。結果としてはいろんな経験を積めました。
病気もせず帰国できて本当によかった、その一心でした。
移住というものの光と影、表と裏、子供が一緒にいることで上がる難易度、それらを安易に考えていた(あまり考えられていなかった)私は当然痛い目を見ました。
しかし、その会えない3か月間の間に我が家に起きたことといえば、、、
主人も私も、お互いの大事さを再確認し、なんと喧嘩はおさまり、早く帰国して!というまでになったのです。
思わぬ副産物を手にして、帰国したのでした。この3か月の衝撃というのはお互いに大きかったようで、(たかが3カ月ですが)
今は本当に仲良しの家族になりました。私が手に入れたかった結果が、多少なりともやってきたのです。
日本にいた状態では良くはならなかったと思います。それほどにひどかった。
離れてこそわかるお互いの大事さ、とても心に沁みました。
しかし、そこに浸っているだけではなく、前に進んでいかなくてはならないのです。
子供たちは日本でこれからも幸せに暮らしていけるとは私は思わないのです。
理由はあげたらきりがないですが、日本語だけ話せる状態でもし日本が立ち行かなくなれば、子供たちはいったいどうやって生活していくのでしょうか。
英語だけでも使えるようになっていてほしい、その思いは絶対に消えることはありません。
なんとしてでも、子供を抱えてでも、初めは私一人だけでも、家族とまた離れることになってしまっても、
私には進むべき道があるのです。
通っている整体の先生から言われた言葉が忘れられません。
「あなたは修行僧。」
私には痛いほどわかります。日々そうやって進んでいるのです。私はまだまだ。
同じ試練を抱えている皆さんと、思いを一つにして進んでいくことができますように。
娘がおしっこをもらしてカバーを外した布団で昼間寝たら私だけ全身をダニにかまれてすごくショックでした。
子供たちがかまれませんように。
車がようやく手に入りました。時間を気にせず移動することができます。ありがとうございます。
今日もすべてのことに感謝です。