お久しぶりです。2歳半の息子の育児と第二子妊娠中で自身が全く時間を捻出できていませんでした。
blog読んでくれている方いますか?笑
子供を寝かせて旦那さんが泊りでいない数少ない日の夜、更新しています。
子育てしていると圧倒的にアウトプットの機会が少ないです。ただ情報をインストールするので精一杯。
子供に関すること、など色々検索してそれで終了。時間が取れないからです。
それでは一向に成長しないですよね。
それに子育ては常に真剣勝負。自分の中の醜い側面を露わにされます。
向き合いたくない深部、子供はそんなのわからずにどんどん素直に突き進んでくる。
可愛さももちろんあるけど残酷さもあり。うわーんと朝泣いて起きたところから脳内にゴングが鳴るのを感じます。
私は物心ついてからずっと生きづらさを感じて生きてきたわけですが、
気づいた時からその生きづらさがなくなることは今までありませんでした。
主人との出会いで自分の価値があると思うようになれたのは素晴らしいと思っていますが、
日々感じている苦しさ、これは文字ではうまく表現できないし、本人にしかわからないものだと思うのですが、
私は常に感じています。よく調べてみるとこれはAC(アダルトチルドレン)の傾向が高い、と。
アダルトチルドレンの出現理由は、小さい頃の親の愛情不足(もしくは愛情の与えすぎ)だそうで、
親が特別何かを私にしたということはほぼないと思いますし、親自身もそういうことは考えていないと思います。
両親なりの愛し方で愛してくれたと思っています。今私が思い返してみて思い当たるのは、
小学生の時ずっと鍵っ子だったこと。帰ったときに誰もいなくて、お気に入りの毛布を握っていたこと。
それだけ、と思うかもしれませんが、こんな些細なことが人間形成に影響を及ぼすんですね。
自分が親になってその重さを痛感しているところで、私のような気持ちを彼らに味わってほしくないと思っています。
我が家では金銭的な不自由なほぼなく育てて貰いました。本当に感謝すべきことで、今自分が親になってそれがどれだけの愛情表現で、大変なことかよくわかります。
でも、それだけの愛情表現をしても、学校から帰ったときに誰もいないあの寂しさを埋めることはできないということです。
私は末っ子として生まれ、私が小学生のころ母はパートに出ており、15時か16時になるまで家に誰もいませんでした。今思うとやはり寂しかったのでしょう。
今30歳手前ですが、当時の記憶を引っ張り出すとそのことしか思い浮かんできません。
当時の小さな私なりにショックだったのでしょう。そんな些細なことで子供の人生に影響を及ぼすのであれば、
私はパートなどしたくありません。必要としてくれる時期には彼らのそばにいてあげたい。
それで満足してくれるなら、、、そう思っています。在宅での仕事を探しているのもその点からです。
社会で満足に働けなかった私は在宅勤務があっているのかと思います。
とにかく子供を産むということはそういった責任もすべて負うことになり、時間的制約も随分と変わり、
独身当時より自分が変わったのを強く感じます。
今は海外移住に向けて在宅ワークで生計を立てられるように毎日育児しながら思案しています。
お腹の赤ちゃんの胎動を感じながら・・・
出産予定日は来年2月、新しい命と責任を一心に感じながら、私も新たな人生をスタートさせたい気持ちで一杯です。